麻原彰晃

私が修行生活に入ったのは、今からちょうど八年前のことであった。それまではごく普通の生活をしていたといえる。鍼灸師を職業としていた。わたしが鍼灸師となったのは、長兄がそうだったからにすぎない。自分ではあまり考えることなく、資格を取得して開業していたというわけである。 腕はいい方だった――と私は思っている。毎日毎日、多くの人がやってきて、息をつく間もないほどだった。中には遠く島根県から、年に何回か泊まりがけで来る人もいたくらいである。 ところが、仕事は順調にいっているにもかかわらず、絶えず疑問にさいなまれ続けていたのだ。「自分は無駄なことをしているのではないか」という疑問である。なぜならば、病気の人を一生懸命に治しても、キリがなかったからである。完治したように見える人でも、治療から離れて元の生活に戻れば、すぐに再発してしまうのである。 そんなこともあって、わたしの内面では、自信とコンプレックスの葛藤が続き、次第に疲れ果てていった。精神的にも大変不安定になり、「このままでは駄目になる」という、漠然として不安を感じるようになった。いったい何が、どこから狂ってきてしまったのだろうか。生きていくための仕事の選択を間違ってしまったのだろうか。ひょっとしたら、もともとわたしは治療家には向いていなかったのかもしれない。人生そのものが、違った方向へ向かっているような気さえする。 そのとき初めてわたしは、立ち止まって考えてみたのである。自分は、何をするために生きているのだろうか、と。この〝無常観〟を乗り越えるためには、何が必要なのだろうか、と……。